松岡みゆきのブログ

町田市議会議員 松岡みゆきのブログです

拉致被害者 横田めぐみさんの父 横田滋さんがご逝去されました

北朝鮮に拉致された拉致被害者横田めぐみさんの父の横田滋さんがご逝去されました。

その訃報を聞き涙が出て胸が締め付けられました。

どんなに娘さんである、めぐみさんに会いたくて、無念だったでしょうか。

 

めぐみさんが拉致されたのはまだ中学1年生の11月15日です。今から42年前です。

しかもその前日14日は父の滋さんの誕生日で、めぐみさんは自分のお小遣いで、滋さんに「身だしなみのために櫛(くし)を使ってね」と誕生日の贈り物をされました。その櫛を長年、とても大切に肌身離さずに持っておられました。誕生日の翌日にめぐみさんは家から忽然といなくなられて、ご両親の、心配は想像を絶します。

長年探し続けられました。それがなんと、北朝鮮から拉致されていたのが今から、およそ20年前に発覚したのです。

 

今年で、めぐみさんが、いなくなってからすでに42年も立ってしましました。

それでも、なお、めぐみさんを取り戻すことが出来ていません。

お父さんである滋さんは、42年間も探し続けて、とうとうめぐみさんと再会することが出来なかったのです。

どんなにか無念だったでしょうか

本当に悔しくて残念でなりません。

 

私は議員になる前、、今から、20年前から拉致被害者を救うための活動をさせて頂いております。

20年前に拉致が発覚した折に、横田夫妻がテレビ出られて次のように言われていました。「娘のめぐみさんが13歳fで、家から突然、いなくなり、探し続けています。何としてもこの手で娘を取り戻して抱きしめたい。どうか皆さん、ご協力ください。」と。

 

私には、当時、11歳の娘がいました。めぐみさんが拉致された13歳に近い年令でした。娘がもし拉致されたら、私は悲しみに暮れるだろうと思いました。

 

何とかして協力できないかしら?と考えていました。すると11歳の娘が、千羽鶴を折って早く連れ戻せるように祈ろう!と言いました。

そこで私は、折り紙をたくさん買い、娘に渡すと、娘は、「お友達にも一緒に折るように頼んでみる」と言いました。

わたしも、じっとしていられなく成り、娘の友達のお母さん達に頼みました。

 

すると1日で千羽鶴がたくさんできました。その千羽鶴を娘と一緒に糸に繋げました。それを見ていたら、こうしてはいられない、町田市の駅に出て、市民の皆さんにも千羽鶴を折って頂こうと思い、折り紙をたくさん持って行き早速、町田駅の街頭に出て、声かけましたら、市民の方の1人1人が1羽づつ折って下さり、1日で5千羽ほどが集まりました。

私はこの時、確信したことが今に繋がっています。

それは「1人が、正しいことを叫んでも何も変わらない、」とよく言われますが、そうではないと。町田市民の方、お1人お1人が、この時代に、北朝鮮による拉致があり被害者がいて、そのご両親が長年、娘を探し続けておられる。こんな理不尽で悲しいことがあるんだ。他人事ではない。何とか力にならないものか!という、人々の思いがこの、千羽鶴を折り祈りを込める行動につながっているのだと。自分と同じ日本人の同胞を救い出したいとの強い思いが皆さんにあるんだと!

だから、正しいことを声にだせば、必ずや、人々に通ずるのだとの確信をしました。

それから、その5千羽の祈りの籠った千羽鶴横田夫妻に届けることが出来ました。この一連の行為を当時、テレビ局が取材して下さいました。

それから、この行為が発端となり

町田市で拉致被害者を救うための実行委員会が出来上がり、

横田ご夫妻を町田市民ホールにお呼びして、拉致解決講演会を開いたり、

成瀬体育館で拉致解決講演会を開いたり

成瀬体育館の成人式での成人の若い皆様にも拉致被害者救出の啓蒙をしたり

町田駅の街頭にたって何度も、拉致被害者救出の署名活動をして参りました。

 

私は、拉致被害者を救う活動を通じて、今の日本に大事なのは家族の絆だと確信しました。人間の集団の1番小さな元は、基本は家族だと思います。家族が集まって、市が出来、国が出来、日本という国が成り立っています。

国の成り立っている、基の、この家族を守るために、地元で、町田市で、少しでもお役に立ちたいと言う思いが沸々と湧き上がって参りました。

 

今から15年前に私は町田市議会議員に立候補しました。その時は次点惜敗しましたが、捲土重来し、それから4年後に再出馬して初当選致しました。そして今、議員活動が3期目です。11年目の議員活動に入りました。

 

5年ほど前、町田市民ホール会議室にて、松岡みゆきの市政報告会で、多くの町田市民の方に来て頂きました。講師に横田滋さんをお呼びして、ご一緒に、拉致問題のデスカッションを致しました。

お帰りの際に、町田市民ホールに、全国バレエコンクールのポスターが設置されていました。そのポスターを、滋さんはジッと見つめておられました。私は「どうかされましたか?」とお聞きしたら、滋さんは「めぐみは、子供のころ、バレエを習っていたんです。あの頃を思い出していました」と。目にうっすらと涙がありました。

私は。その姿を見て、胸が痛みました。

 

滋さんとの思い出が走馬燈のように蘇ります。滋さんが、ご逝去された年は87才でした。実は、私の最愛の父も、今年の2月1日に87才で逝去しました。同じ年でした。

 

もし、私が拉致されたら、父も滋さん横田夫妻のように必死に探したと思います。私の父が、滋さんの立場だったらと思いますと、本当にどんなにか辛くいたたまれない事でしょうか。

もしも、自分の身に起きた事だと想像したら、とても他人事ではありません。

 

物事の全ては、自分が、その人の立場にたって、思いやる事が大事だと思います。

横田ご夫妻は、もし自分の子供が拉致されたら、命をかけて必死に探し出すだろうという日本の父や母、を代表した方々だと思います。

日本人の姿だと思います。

心から、滋さんの御冥福を祈ります。

そして、一日も早く、拉致問題を解決しなければ、いつまでたっても、この国の主権が脅かされている事になります。

家族が安心して、幸せに過ごすことは当然の権利です。

そして、国民の財産と命を守ることが政府・国の義務です。

これでは、主権国家とは、言えません。

信念をもって今こそ、拉致被害者奪還を、この国挙げてやるべきだと思います。